佐藤次郎右衛門

(さとうじろううえもん)

生没年:?〜1636年/ 身分:伊達家の家臣/ 官位(通称、号):次郎右衛門

 名前は不明。片倉景綱の家臣。屋代景頼の家臣・庄子隼人が勝手に領地に戻ったので伊達政宗は片倉景綱に彼を討つように命じた。そこで景綱は次郎右衛門と彼の弟・大学の兄弟に直接討つことを命じる。二人は策略を練り隼人を討って政宗からお金と隼人の大小の刀を賜った。
 その後、関ヶ原の戦い、大坂の陣で功があり53石を与えられる。大坂の陣後の論功行賞で政宗が片倉重長に「お前の家臣で功がある者に禄を与えようと思う。名前を挙げよ」と訊ねたので、彼は次郎右衛門と大学ら3人の名前を挙げた。そのため次郎右衛門達は石高が2割増になった。1636年1月7日死亡。

参考文献:仙台人名大事典

UPDATE 2003年7月9日
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