五百蔵左馬進

(いおろいさまのしん)

生没年:?〜1615年/ 身分:長宗我部隊の部隊長/ 官位(通称、号):左馬進

田辺城跡
左馬進が隠棲した紀伊田辺にある田辺城跡

 名前は不明。土佐の戦国大名・長宗我部家の家臣。先代の五百蔵左馬進が戸次川で戦死したため、その娘と桑名太郎左衛門の次男が結婚し同じ左馬進を名乗った。それがこのページで紹介する左馬進である。
 左馬進は関ヶ原の戦いに参加したが、長宗我部軍が戦わずして撤退したため、盛親が大坂に落ち延びるのに従った。長宗我部家の改易後は浅野家の家臣・浅野良重を頼って紀伊の田辺に隠棲していたが、大坂の陣が始まると妻子を捨てて大坂に駆けつける。1615年5月6日の八尾の戦いに従軍し、盛親の馬前で討死した。

参考文献長宗我部元親のすべて戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2001年8月31日
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