長次郎

(ちょうじろう)

生没年:不詳/ 身分:長宗我家氏の家臣/ 官位(通称、号):?

西唐人町
父・朴好仁らが土佐に連れてこられた際に暮らした西唐人町

 父は朝鮮の武将・朴好仁(パクホイン)。本名を朴好赫(読み方はボクコウカクか? 朝鮮での読みは不明)という。父の好仁は慶尚道秋月城主だったが、朝鮮出兵の熊川防衛戦で妻子家人ともに長宗我部家の家臣・吉田政重に捕らえられ日本に捕虜として連れて来られた。
 朴好赫は12歳の時に名を長次郎と改めて長宗我部元親の小姓となった。盛親が改易されて京都に行くときのお供をした。大坂入城にも従い、落城後は奈良に行きそこで亡くなっている。

管理人・・・『大坂の入城にも従い』なんて書いてますが、元の文章が載っている『南路志』には『京都に相詰、大坂御篭城之以後、和州奈良に罷越・・・』としか書いてありません。でも文章から読む限り従ったんでしょう。
 あとこの記録は子孫(文章を読む限り孫かな?)の秋月弥五右衛門が1624年に残したものなので、もしかすると長次郎は秋月姓を名乗っていたのかもしれません。

参考文献大日本史料(第十二編15〜20)・南路志、ほか

UPDATE 2004年5月14日
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