今中光安
(いまなかみつやす)
生没年:不詳/ 身分:浅野家の家臣/ 官位(通称、号):勘右衛門

光安が守備した和歌山城
今中家は足利将軍家の家臣で山城普賢寺山城主だったが、織田信長に城を落とされ没落する。
光安は1577年に浅野長政の家臣となり関ヶ原の戦いで活躍した。大坂の陣では和歌山城を守備する。その後は不明である。
管理人・・・光安の次男・木村石見守は浅野良重の謀殺で活躍しています。
参考文献:和歌山県史
UPDATE 2003年2月3日
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