桑名一孝(?〜1615年)

官位・通称:弥次兵衛・藤次郎
 初名・吉成。中内藤左衛門の次男。桑名丹後守の弟・藤蔵人の養子となる。1578年、讃岐藤目城攻めの活躍を知った長宗我部元親から、上方で知られた武辺者の名にあやかり通称を藤次郎から弥次兵衛と改名するよう命じられる。
 中富川の戦い・勝瑞城攻めなどでも功があった。養父・蔵人が亡くなると跡を継ぎ中村城代となる。
 四国征伐後、豊臣秀吉の使者として上洛し、徳川家康・藤堂高虎と面識を持つ。戸次川の戦いでは土豪の抵抗を排除し、元親の撤退を助けた。
 長宗我部盛親の改易後、二千石で藤堂高虎に仕える。八尾の戦いで盛親の率いる隊と戦い戦死した。
 ※詳しくは大坂の陣絵巻桑名一孝をご覧下さい。

八尾市本町5−8−1の常光寺にある桑名一孝の墓
桑名一孝の墓
UPDATE 2011年6月24日
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