長宗我部康豊(1599年頃〜?)
官位・通称:民部
長宗我部元親の六男。兄・盛親に従って八尾の戦いに参加したが、大坂城が落ちると脱出し信濃に逃亡する。安部晴明の子孫を詐称し、村人相手に適当な占いをして生活費を稼いだ。その後、村人の問題を解決し幾らかの金を手に入れると村を去って駿府の長光寺に落ち着き、母方の名字を使用して足立七左衛門と名乗る。そこで駿河田中城主・酒井忠利を助けた際に由緒を話したところ、家臣に取り立てられている。
※詳しくは大坂の陣絵巻の長宗我部康豊の項をご覧下さい。
康豊が落ち延びた長野県松本市出川町にある多賀神社(多賀明神)
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