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豊国神社修理の件
「豊国神社の造営もするべきです」 これを聞いた松平信綱は阿部忠秋を召し出して仰せ付けた。 「幽也が言うことはもっともだが、そのようにはいかない。豊国神社が大破したことは知っている。だが修理の命令がない理由は、敵の行なったことはしないのが古法だからだ。大坂城が落城した5月8日に誰ともなしに香典がたくさん集まったと聞いている。今は大坂の陣から、そんなに時も経っていない。家康様の御威光で豊臣家の譜代の武将も大勢旗本になった。大坂の陣後のことも如何に敵を恐れおののかせるかで成り立つ。それ故にわざと豊臣家を見捨てた大将の首でも敵のものだったので獄門に晒した。侍同士の戦で獄門にさらすなどあるまじきことだが、これは古法だ。敵を打ち滅ぼした後はそのように処置するようにとの将軍の命令だ。今後の大坂のことはより厳しくするように」 豊国神社に秀吉の彫像があり、江戸より使者がある時は、納めてある御堂の戸を閉め開かないように言われており、この時代もそのようにしていた。家光が名将なので豊国神社の造営はしないように命令したと世間の人々が聞くと 「そのような深い思惑があったのか」 と感じ入っている。(『明良洪範』) Copyright (C) 2003 Tikugogawa. |
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