安見隠岐の剛勇

 大坂冬の陣の時、前田利常の家臣・安見元勝は味方と共に城内に押し寄せたが、豊臣軍の兵士が門を開いて攻め返してきたため、前田軍は崩れてしまう。この時に元勝は一人で錏(しころ、兜の鉢の左右から後方に垂れて頸を覆うもの)を傾けて戦い堪えたため、前田軍は体勢を持ち直した。
 だが、城門から豊臣軍が攻めてきたため、前田軍はまた崩れてしまったがこの時も元勝は堪えた。これが三度ほど繰り返された。利常は元勝を激賞。
「この虎口の勝利はまったく元勝の武功にある」
 この戦いの最中、元勝が敵と組み打ちして下になって首を獲られそうになったが、錏を引いて首を守って粘っていた。そこに同僚の伴某という者が馬に乗って現れ
「元勝、助けるぞ」
 と言ったが、元勝は
「武士は各々の稼ぎをするものだ。自分の働きをしろ」
 と助けを断ったため、伴はそのまま通り過ぎていった。
 戦いの後、伴が元勝と会うと、元勝は敵の首を獲っていた。馬上から伴が
「さてさて手柄だ」
 と褒めると、元勝は左の手を出し
「何の慰みもなくなった。鷹が使えない」
 と答えた。組み打ちの時に左の指を二本切られていたのだ。

 天下泰平となった後、元勝は辻斬りなどして行いが良くないとのことで
「用事がある」
 と上から呼ばれた。元勝は
「間違いなく切腹か島流しだろう。申し渡すのは本多政重山崎長徳か。誰にしても相手になってやろう」
 と決意し屋敷を出て出頭。そこには政重が待っていた。
「近くに寄りなさい」
 元勝が政重の言葉に従って近くに寄ると
「その方は大坂の陣の時に奮戦してくれたので、恩には思っているのだが・・・」
 と、政重は書付を途中まで読んだところで、元勝は急に脇差を4〜5メートルほど投げ出した。 「承りました。この上は・・・」
 抵抗する考えを捨て、自ら願い出て能登の国にある島に流刑された。そのため子孫は絶えたという。(『遺老物語老談一言記引』)

管理人・・・・・・元勝が抵抗しなかったのは、大坂の陣でのことを言われた際、『自分のことを大事には思ってくれているが、行いが良くないので仕方なく罰するんだな』という利常の気持ちを察したのではないでしょうか。

UPDATE 2011年7月16日
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