破れ船七人衆

 大坂冬の陣の最中、豊臣軍は博労淵に砦を構え薄田兼相が守備をしていた。そこを攻めた徳川軍の石川忠総の先鋒7人は焼け残った小船に乗って砦を乗っ取ったので『破れ船七人』と呼ばれた。
 その中の一人、神田九兵衛は読み書きも出来ず、すべてのことに荒っぽい男だった。ある年の大晦日に九兵衛は何を思ったのか、年賀の発句を作ったと大いに自慢し言いふらした。
「明日これでご褒美を頂くのだ」
「珍しいことだ。その発句を聞いてみたい」
 同僚が頼んだが
「いやいや、明日、殿が見られた上で話す」
 と断っている。

伯楽橋
伯楽橋。博労淵の戦いの際、こちらから東に徳川軍が攻めてきた

 九兵衛は夜遅くなってから自分の館を出て広間に行き、柱に発句を張り付け、家老達が来るのを見かけると呼び止めた。
「年賀の発句を作りましたので、殿へよろしく取り成してください」
 皆は興味を持っていたため、歌を見てみると『ことしは うまのとし めでたかりけり』と仮名でたどたどしく書かれていた。
 みんなは腹をかかえて笑いたかったが、九兵衛は剛勇で知られた男だったため、笑うことが出来ず
「めでたい句だ。殿に申し上げておこう」
 と、その場を取り繕い忠総に伝えた。
「良い発句だ」
 忠総は九兵衛の歌を褒めた。そして九兵衛がお目見えの時、
「良い発句だった。褒美を取らそう」
 と小袖を与えている。(『古老噺』)

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