後代の名折れ

 大坂冬の陣で徳川軍は天王寺口の櫓を金堀衆に掘らせた。それを見た本多正信は「誰の許しで櫓を掘らせているのだ。このようなことを記録に残るものだ。『関東の武士共は城を攻めかねて町人を頼って櫓を掘らせた』と言われるのは後代の名折れとなる」と言い止めた。(『久国談話』)

Copyright (C) 2003 Tikugonokami.