山内政豊

(やまうちまさとよ)

生没年:1598〜1629年/ 身分:山内家の家臣/ 官位(通称、号):吉兵衛

掛川城
政豊が生まれた掛川にある掛川城

 山内康豊の息子。山内忠義の弟。遠江掛川で生まれる。関ヶ原の戦いでは徳川家の人質として小田原城に入った。それから江戸に移り、しばらく人質として生活するが、1613年に妙玖院(康豊の妻。忠義、政豊らの母)が代わりとして来たため、土佐に戻る。大坂夏の陣に従軍した。
 1619年に福島正則が改易されると、広島に出向く。1625年に康豊が亡くなったため、土佐中村2万石を継いだ。1629年4月8日死亡。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2006年6月23日
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