山内康豊

(やまうちやすとよ)

生没年:1549〜1625年/ 身分:山内家の家臣(土佐中村2万石の領主)/ 官位(通称、号):修理亮

中村城跡(為松公園)
康豊が城代を務めた高知県四万十市中村にある中村城跡(為松公園)

 山内盛豊の息子。山内一豊の弟。尾張黒田に生まれる。織田信忠に仕えるが、本能寺の変で信忠が亡くなると兄の一豊に仕えた。関ヶ原の戦いで山内家が土佐を与えられることになると、康豊がまず城の受け取りのために先に土佐に向かう。1601年に土佐中村2万石を与えられた。
 1605年に一豊が亡くなり、彼の養子となっていた息子の忠義が山内家を継ぐと、その後見を行なう。大坂冬の陣で康豊が出陣した隙をついて長宗我部盛親の旧臣・奥宮伝兵衛が中村城襲撃を計画したが、康豊の家臣・祖父江一秀が未然に防いだ。1625年8月29日死亡。高知市筆山の要法寺に葬られた。

管理人・・・一豊の実質的な後継者でした。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2006年6月23日
Copyright (C) 2006 Tikugonokami.