北原光次

(きたはらみつつぐ)

生没年:1588〜1678年/ 身分:保科家の家臣/ 官位(通称、号):采女

高遠城跡
光次が生まれた長野県伊那市高遠町にある高遠城跡

 信濃高遠に生まれる。父は不明。一説には保科正光の庶子であるという。1600年に正光に召しだされ、大坂夏の陣では組頭として従軍した。その後、家老となる。1631年に正光が亡くなり正之が跡を継ぐと将軍との拝謁を許された。
 1636年に保科家が山形に移封されると1300石を与えられ、1643年に会津に移封された際、1800石となる。1649年、2500石となった。1650年に保科家の大老となり1500石を加増され4000石となる。1668年に隠居して円敬と号した。1678年4月28日死亡。

管理人・・・保科正光の息子と言う説ですが、正之が正光の命日に光次を高遠に名代として行かせていたので、間違いなかろうと噂になっていたそうです。
 ほとんど正之が江戸にいたので、その間保科家を守っています。

参考文献三百藩家臣人名事典・保科正之のすべて

UPDATE 2013年2月12日
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