立石正賀(1564?〜?)
官位・通称:助兵衛
立石摂津守の弟。長宗我部元親の家臣。1589〜1597年の間に甥・右京進が亡くなったため、立石家の家督を継ぐ。
関ヶ原の戦い後、横山新兵衛と共に大坂に残り、井伊直政を通じて徳川家康と交渉する。長宗我部盛親の改易が決定すると、直政の家臣と共に土佐に戻り、浦戸城の明け渡しに抵抗した一領具足の鎮圧に尽力している。のちに肥後細川家に仕える。
『長元記』の著者として知られるが、正賀が記したことについては成立年代などの観点から疑問視されている。
※大坂の陣絵巻の立石正賀もご覧下さい。
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