馬印

 1615年5月7日の天王寺・岡山での最終決戦で、豊臣秀頼が桜門まで出張った時、前線の敗北が伝わってきた。
「敵の中に突っ込み討死する」
 秀頼は決心したが、速水守久に止められ城内に戻った。そのため、兵士達は散り散りとなり、馬印を捨てて逃げた。これを見た伊藤武蔵守は
「朝鮮にまで聞こえた豊臣家の馬印を敵が拾ったら『大坂城に男は一人もいないのか』と国中の笑い者になる」
 と言い、拾った後、振り掲げながら城内の千畳敷に引き返した。(『常山紀談』)

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