宣教師から見た毛利勝永

 大坂城五人衆に数えられた毛利勝永について、イエズス会の宣教師が以下のように報告している。
『豊臣軍の最前線の司令官には真田幸村と毛利勝永がおり、言語に絶する勇気をもって奮戦し三・四回猛烈に敵軍を突破したので、徳川家康は失望の極みにたって、日本の国風によって切腹しようとした』
 天王寺での最後の戦いの勝永の活躍は幸村に並び賞されるものだった。

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