又兵衛の首

 道明寺の戦い後藤基次(又兵衛)の首は松平忠明の家臣・山田十郎兵衛が取ったが、十郎兵衛は深手を負って疲れ果てていたため、井伊家の家臣に奪われてしまった。その後、首が取り調べられていたところに、十郎兵衛が申し立てをした。
「又兵衛の首の前歯二枚が黒かった。それを知っていることが私が討ち取った証拠です」
 しかし不確かな証拠のために「他に何かないか」と尋ねられると
「三つ蜘蛛の笄(こうがい、刀の鞘に挿しておく、金属性のへらのようなもの)を差しておいた」と述べた。そこで改めて見ると確かに笄があった。(『鶴の毛衣』)

小松山
大阪府柏原市玉手町25にある小松山

管理人・・・笄は主人の忠明から拝領した物だったそうです。逸話の主役・山田十郎兵衛ですが、おそらく小松山に墓があると言う同姓同名の人と同一人物だと思います。この話が本当なら戦が終わった後に傷がもとで亡くなられたんでしょう。
 なぜ道明寺の戦いで井伊家の人間がいるのかは分かりません。

UPDATE 2005年3月8日
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