広言

 1615年5月6日の夜、天王寺・岡山での最終決戦を控えた小笠原秀政の家臣達は馬の泥障( あおり。下鞍に小型の大和鞍、水干鞍を使うとき、泥が飛びはねるのを防ぐため、下鞍の間に垂らす大型の皮革。のちに装飾用としても用い、漆塗りの皮を張る)を外し敷物にして夜を過ごしていた。
 すると家臣の一人、将監に対して組下の森下善兵衛が
「主君のことですが、他の軍の兵達から悪口を言われているのは知っています。汚名返上のため、明日の合戦では高名を立ててみせます」
 と宣言。それを聞いていた岩波平右衛門が善兵衛を窘めた。
「高名は運によるもの。広言はしない方がいい」
「岩波殿は何か勘違いをしておられる。高名を立てなければ討死するつもりです」
「討死するなら話は別だ」
 善兵衛は発言通り、翌日の戦いで一番に討死している。(『小笠原代々記』)

管理人・・・広言して出来なければ討死するというなら、責任を持った発言なので問題ないという意味なんでしょう。

UPDATE 2013年7月22日
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