且元、秀頼の居場所を教える
1615年5月7日夜、片桐且元は病気だったが大坂城内に詳しかったため命令で乗り物に乗って城に入った。その時の状況は徳川軍があちこちに火をかけて焼き払っていたところだった。そこに干飯蔵に大勢籠もっている様子が見えたので人を使わせて見させると豊臣秀頼のほか、大野治長・速水守久・竹田永翁・氏家行広などの武将、そして淀殿や女中達の存在が確認できた。そこで且元は徳川家康・秀忠にそのことを報告している。(『慶長見聞録』)

静岡県静岡市駿河区丸子の誓願寺にある片桐且元夫妻の墓
管理人・・・これに続く文章には『片桐且元は秀頼の家老として去年まで非常な忠臣だったが、あることが起きて主従の仲が悪くなってしまった。しかし今までの恩を忘れて家康に場所を教えるとは誠に武士のあるべき姿に反すると世間の心ある人は噂した』とあります。
UPDATE 2014年4月30日
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