仁義の勇者

 大坂夏の陣の際、徳川家康は久世三四郎と坂部三十郎を呼び前線に物見に使わせた。三十朗は勇み立って家康の前を立ち去ったが、三四郎は顔色を変えてどうしようかという様子で去ったため、小姓衆が笑った。しかし家康は
「三十郎は生まれつきの剛の者なので敵をなんとも思わない。しかし三四郎は慎重に行動して武道に勤めている。困った様子をしていたのは、生きて帰らないほどの気持ちでいるからよく考えて行動するためだ。三四郎は三十郎より100メートルも200メートルも先に進んでよく見届けて帰ってくるだろう。それは死を覚悟する心がある者は大事を心がけ気持ちが定まらないように見えるのだ。三四郎は仁義(物事のよろしきを得て正しい筋道にかなうこと)の勇者だ」
 と弁護した。はたして三四郎は三十郎より400メートルほど奥へ進みよく見届けて戻ってきている。(『武辺叢話』)

UPDATE 2013年11月29日
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