真田昌幸の大坂防衛策

 元信濃上田城の城主・真田昌幸は死ぬ間際に息子・幸村にどうすれば豊臣秀頼の天下になるかと聞かれた際、「自分が3000人の兵を率いて伊勢の桑名を越えてそこを守備する。徳川家康は自分の実力を知っているからしばらくは攻撃してはこないだろう。そのうちに太閤恩顧の大名達が駆け付けてくる。家康が攻撃してくれば桑名を取って、さらに攻撃をしてくるなら近江の瀬田を取る。そして瀬田の橋を焼き柵をつける。そこで睨み合いをしているうちにたくさんの味方が大坂城へ集まってくるだろう。そうなれば家康を倒して天下が秀頼公のものになる」と答えたという。(『真田記』)

真田昌幸墓碑
和歌山県伊都郡九度山町九度山1413の真田庵にある昌幸墓碑

管理人・・・このような策が本当に実現可能だったとは思えないのですが・・・。

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