一番は誰だ?
大坂の陣後、二条城で徳川家康は
「今回の戦いで一番の働きがあった者に大坂を預ける」
と言い、譜代の者達の働きを調べさせた。すると水野勝成が
「自分達を越した者はいない」
と主張し反論も無かったのでほとんど水野家に決まりかけていたところに、松平忠明の家老・奥平金弥が申し出た。
「虚言とは水野殿に似合わないことをされる。6日の道明寺の戦いで私が時間を稼いでいたところに水野殿の軍勢が来られたので一緒に戦ったのをお忘れですか」
これを知った家康は忠明を贔屓にしていたため予定を変更。
「忠明が一番だ」
結局、忠明には大坂と10万石を与え、勝成には大和郡山と6万石を与えている。(『山本日記・幸島若狭大坂物語』)
UPDATE 2012年7月2日
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