互いの距離

 大坂冬の陣の際、徳川軍は天満や船場の川に残らず毎夜大竹でスノコを敷き、その上にネコダ筵(藁縄を編んで作る大きい筵)を敷いて大坂城を監視した。
 また五重や三重の櫓や吊井楼(つりせいろう、軍中で用いた臨時の望楼としての井楼の一種。滑車かつしやにより上下する箱に人を入れ、つりあげて敵状を偵察させた)を造り、城の中が見えるように35〜40メートルくらいのところへ寄せた。このように互いに話ができるほどに両軍は近寄っていたという。(『長沢聞書』)

UPDATE 2011年8月1日
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