臆病神
久世広宣は五千石の旗本となっていたが元は榊原康政の家臣だった。広宣は大坂冬の陣の際、上に命じられ榊原軍の陣地に向かった。
「榊原康勝の攻め口の仕寄がどれ程付けたのか、向こうの土手は通るべきなのか見て来い」
榊原家の家臣達は広宣が直参になっているのが妬ましかったため、脅して仕事をさせないようにした。
「そこは鉄砲の射撃が多く危ないところだ。見る前に早く帰った方がいい」
だが広宣は怯むことなく「榊原家は城と寄せ手の旗先が行きあうほどに仕寄るのが決まりだ。鉄砲が飛んでくるということはまた遠く離れているということだ。この前まで貴殿らと肩を並べて膝を組んで戦っていた時はこんなことはなかったが何時の間に臆病神をつけたのだ?我ら旗本の者はこれほどのことは何とも思わん」と言い返した。榊原家の家臣達で反論できる者は誰もいなかった。(『砕玉話・止弋談叢』)

群馬県館林市城町にある榊原家の居城・館林城
UPDATE 2005年3月16日
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