甲州流

 1614年11月18日の夕方、徳川家康が念仏を唱えているところに、御使番の鹿野伝右衛門が来て報告した。
「今、突然に城から後藤基次(又兵衛)が大軍で打って出て来ました。軍勢に備えるように命じて下さい」
 しかし家康は応じなかった。
「城中の兵が残らず討って出ても7万ほどで、大半は城に残るだろう。何が大軍なものだ。そういうことを口にすると味方に脅威を与えてしまうので、大軍などとは言うな。お前は甲州で使番を勤めた者の息子なので、父からいろいろ大事なことを教えられたのだろう。甲州では1万以上を大軍と言ったようだが、今は日本中の兵を集まっているのだから1万程度では大軍ではない。一言一句も気をつけないと様々なことで失敗するぞ。この先、よくよく考えろ」(『廓山大坂供奉私記』)

久能山東照宮
家康が葬られた静岡県静岡市駿河区根古屋にある久能山東照宮

UPDATE 2005年3月9日
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