城中の動揺を鎮める

 大坂冬の陣の最中、徳川軍は総攻撃を仕掛けた。夜8〜9時頃、徳川軍が鬨の声・鐘・太鼓などの音を響かせ、石火矢を一度に撃ち放ったため、城内は大騒ぎとなる。この時、後藤基次(又兵衛)は普段着の黄色の綾の着物を来て天満の持ち口に行き、使番4〜5人を呼び寄せた。
「この攻撃はこちらの兵士の心を萎えさせようとしているためのものだ。堀を乗り越えてくることはないだろう。鉄砲を一発も撃ってはならない。このことを皆に触れ回るように」
 そう言い残すと去っていった。やがて基次の予想通り、総攻撃は止んだ。それを知った基次は
「鉄砲を二回ほど撃て。これはこちらの鉄砲が健在であることを知らせるためだ」
 と、部下に命じている。(『長沢聞書』)

伝・後藤又兵衛夫妻の墓
愛媛県伊予郡松前町大字筒井315の大智院にある伝・後藤又兵衛夫妻の墓

UPDATE 2011年7月14日
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