家康、策を見抜く

 大坂冬の陣の最中、徳川家康のもとに藤堂高虎への豊臣秀頼直筆の書状を吉川瀬兵衛という者が持参した。そこで瀬兵衛は高虎の逆心を伝え、書状を差し出した。しかし家康は即座に策略を見抜いた。
「このような策略は唐にも日本にも度々あることだ。敵の頼りになる家臣を主人に疑わせ内輪もめを起こさせるのはよくあること。浅はかな策略で逆心があるとは毛頭思わない。本当に高虎に逆心があるのなら、この書状をそちらに持参するだろうに、こちらにじかに差し出すのは紛れも無く策略だ」
 そして家康は「書状と瀬兵衛を高虎に渡せ。そして瀬兵衛の手足の指20本を切り額に秀頼という焼印を当てて城に追い返せ」と命令した。高虎は書状と瀬兵衛を受け取り家臣の藤堂主膳に指の12〜3本を切り落とさせたが、弱りきったのでそこでやめて焼印を当てて大坂城の黒門前に連れて行き、上記のことを城内に伝えた。しかし豊臣軍は「そのような者は知らん」としらを切り門前に置き去りにしていたが、夜になって密かに城内に引き入れた。(『藤堂高虎伝記』)

藤堂高虎の銅像
津城址に建つ藤堂高虎の銅像

管理人・・瀬兵衛が使者に名乗りを上げたのは、母親が牢屋に入れられており赦免してもらうためだったそうです。

UPDATE 2006年1月20日
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