黒金泰忠

(くろがねやすただ)

生没年:1564〜1635年/ 身分:上杉家の家臣/ 官位(通称、号):上野

黒金泰忠の墓
山形県米沢市林泉寺1丁目2-3の林泉寺にある黒金泰忠の墓

 島倉泰明の子。1579年に家督を継ぐ。土木関係の才能に優れており、1597年に伏見総構堀普請と伏見舟入奉行を務めた。1601年に上杉家が米沢に減封された後、上杉景勝の命で黒金景信の跡目を相続し、黒金姓とする。元の島倉家は弟が継いだ。
 大坂冬の陣で功を上げ1615年正月に徳川秀忠から感状と呉服と羽織を与えられる。1620年の江戸城石垣普請や1629年の江戸城堀浚の総監督を務めた。1635年1月20日死亡。

管理人・・・大坂冬の陣の時に秀忠からもらった感状の名前に『鉄(くろがね)』と書いてあったので苗字の漢字をそちらに変えたそうです。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2003年12月24日
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