色部光長

(いろべみつなが)

生没年:?~1640年/ 身分:上杉家領内で3330石の領主/ 官位(通称、号):修理亮

色部家墓所
山形県米沢市窪田町窪田1861の千眼寺にある色部家墓所

 色部長実の息子。色部家は越後の国人だったが上杉景勝の時代に家臣となった。1592年9月10日、京都で長実が病死したので、光長が家督を継いで直江兼続の妹を妻に迎え、越後平林城主となる。
 1598年に上杉家が会津120万石に移封されると出羽金山城1万石を与えられた。関ヶ原の戦いで上杉家が米沢30万石に減封されると光長も領地を3330石に減らされる。関ヶ原の戦い、大坂冬の陣で奮戦し1640年6月2日に死亡した。

参考文献上杉景勝のすべて戦国人名事典 コンパクト版三百藩家臣人名事典

UPDATE 2003年12月20日
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