多羅尾光尚

(たらおみつなお)

生没年:?〜1651年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):四郎左衛門

家康ひそみの藪
本能寺の変の際に家康が三河に戻る途中に潜んだと言われる家康ひそみの藪(大阪府交野市妙見坂)

 多羅尾光太の三男。多羅尾氏は近江甲賀郡の豪族で織田信長・豊臣秀吉に仕えた。父・光太は娘が豊臣秀次の側室となっていたため、秀次が罰せられるとそれに連座して改易されたが、秀吉没後に徳川家康に仕えている。
 光尚は1610年に藤堂高虎に仕え、500石を与えられた。大坂の陣に従軍して功があり、200石を加増される。1651年1月12日死亡。

管理人・・・多羅尾氏は徳川家康の伊賀越えに協力したと言われています。それで父が徳川家に仕えることが出来たんでしょう。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典・戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2002年8月27日
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