石田武清

(いしだたけきよ)

生没年:1993〜?/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):三郎左衛門

藤堂高虎の墓
父との噂がある津市寿町の寒松院にある藤堂高虎の墓

 1608年に藤堂高虎に200石で仕える。1609年に丹波篠山城普請で功があり加増された。大坂両陣に従軍し、その功でも加増され合計1千石の領主となる。その後、日光・大坂城・江戸城普請に参加し、1668年に旗奉行となった。

管理人・・・武清は高虎の落胤の説があり、母は高虎の侍女で手がつき妊娠しましたが、その状態で他の男性の婚姻しました。しかしその男性が死亡したため石田武重に預けられたということです。その後の出世からそういう噂が立ったのでしょうか。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2002年7月6日
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