茶屋宗清

(ちゃやむねきよ)

生没年:1593〜1633年/ 身分:徳川宗家の家臣/ 官位(通称、号):小四郎

家康ひそみの藪
本能寺の変の際に家康が三河に戻る途中に潜んだと言われる家康ひそみの藪(大阪府交野市妙見坂)

 茶屋四郎次郎清延の四男。清延は京都の商人で本能寺の変の際に徳川家康を助け、その後、徳川家の御用商人となった人物。宗清は1605年の家康の家臣となる。大坂の陣に従軍した。
 1615年10月に切米100俵を与えられる。同年11月に徳川頼宣の家臣になり、呉服師の役職と年600両を給金を与えられた。1621年に紀伊一国の貢納金改め包方を命じられ和歌山城下に屋敷を与えられる。1628年に引退し1633年8月9日に死亡した。

管理人・・・その後、茶屋家は代々小四郎を称して紀州徳川家に仕えて呉服業や藩札札元などを行ったそうです。大坂の陣に従軍して何をしていたのか不明です。

参考文献:和歌山県史・戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2005年4月12日
Copyright (C) 2005 Tikugonokami.