勝野吉里
(かつのよしのり)
生没年:不詳/ 身分:徳川宗家の家臣/ 官位(通称、号):平左衛門

主君・小早川秀秋が葬られた岡山市番町2丁目6-22にある瑞雲寺
小早川秀秋の家臣・勝野安義の息子。近江に生まれる。関ヶ原の戦いに父と共に秀秋に従軍した。小早川家が改易された後、徳川家康に仕え、大坂冬の陣に従軍する。その後、徳川頼宣の家臣となった。1619年の紀伊移封に従い、切米50石を与えられる。
管理人・・・砲術師・佐々木又兵衛の弟子だったそうです。その関係で紀伊で大筒が製造されるようになると、設置場所を決める役目を仰せつかったそうです。
参考文献:和歌山県史
UPDATE 2005年4月3日
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