諏訪忠恒

(すわただつね)

生没年:1595〜1657年/ 身分:信濃高島2万7千石の大名の子/ 官位(通称、号):出雲守

諏訪忠恒の墓
長野県諏訪市湯の脇1丁目21-1の温泉寺にある忠恒の墓

 諏訪頼水の長男。幼名・竹千代丸。名前は初め忠頼・忠澄。1607年に徳川秀忠に謁見して刀などを賜り、元服して忠頼と名乗った。
 大坂冬の陣では高島城を守備する。夏の陣では父に代わって大坂へ540の兵を率いて出陣し、榊原康勝軍に属して、若江の戦い天王寺・岡山での最終決戦で奮戦し、首一つを得た。その功で5千石を加増される。
 1640年に家督を継ぎ、父の政策も継いで新田開発などに努めた。1657年9月28日死亡。温泉寺に葬られた。

参考文献三百藩藩主人名事典戦国人名事典 コンパクト版、ほか

UPDATE 2002年8月19日
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