安村信安

(やすむらのぶやす)

生没年:?〜1622年/ 身分:立野の地侍/ 官位(通称、号):喜右衛門

旧大和川
寝屋川(旧大和川)

 大和葛下郡岡之城主の息子。立野城主・立野信武の養子となった。関ヶ原の戦い後、徳川家康から朱印を受けた。1601年に片桐且元が大和川の亀ノ瀬を開削して大坂と大和の水運の始めたあと、1610年に彼から命じられ大和川の魚梁船(やなぶね)を造り、亀ノ瀬から上流を独占管理した。
 大坂の陣が起こると家康を道明寺まで案内した。1622年5月8日死亡。法名・天眼院覚了信安居士。

参考文献:郷土歴史人物事典 奈良

UPDATE 2005年10月14日
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