村上高国

(むらかみたかくに)

生没年:1571〜1659年/ 身分:豊臣軍の一員/ 官位(通称、号):兵部大夫

上田古戦場
祖父・義清が武田信玄を破った上田古戦場

 村上義清の孫にあたる。父は会田清幸。母は村上義清の長女。20歳の頃に上杉景勝の家臣となっていた村上国清の息子・織部の陣代(軍務・政務のすべてを統括する人)となった。上杉家の会津移封にも従ったが、のちに村上家を出て大坂に移り、大坂の陣が起こると大坂城に入る。
 陣後は丹波保津村に隠遁し、山伏となって本覚と号した。その後、信濃に移って村上家の旧臣に養われていたが、水戸徳川家に招かれ500石で家臣となる。だがのちに息子の高清にそれを譲って再び保津村に戻り、1659年3月17日死亡した。法名・一峰道楽日輝居士。

管理人・・・高国の子孫は丹波で栄えたそうです。あと会田清幸って人がどんな人がよく分かりませんでした。会田氏は小笠原氏の家臣だったみたいですが・・・。

参考文献:更級郡埴科郡人名辞書

UPDATE 2004年10月23日
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