四王天政実

(しおうでんまさざね)

生没年:不詳/ 身分:越前松平家の家臣/ 官位(通称、号):又兵衛

蘭丸・力丸らの墓
岐阜県兼山町にある蘭丸・力丸らの墓

【藤原氏?】先祖は藤原鎌足の落胤・児玉惟行と言われ、その子孫が武蔵児玉郡の四方田に住んだので四方田と姓を改めた。その子孫が綸旨(天皇などの命令のこと)により四王天とまた姓を改めた。

【蘭丸を討ち取る】政実は丹波の生まれという。明智光秀に仕え、本能寺の変では森蘭丸を討ち取っている。その後、豊臣秀吉が光秀を倒し覇権を握ると各地に身を隠し、紀伊にいたところを親しかった青木秀以に300石で召抱えられた。青木氏の越前大野移封にも従い九頭竜川に架かる舟橋の守りにつき千石に加増された。秀以が病死し浪人となったが、越前の新しい領主となった結城秀康に召抱えられ300石を与えられ再び船橋の守りについた。

【正体がばれる】1604年に秀康は、政実が光秀の家臣だったなど今までの経緯を知り、何か職を与えようとした。しかし彼の家臣が多くその空きがないために延び延びとなり結局金子20両を渡して終わった。大坂の陣では留守をし主君の松平忠直に使者を使って鮭を献上しお礼の手紙をもらった。

管理人・・・『森家先代実録』では政実が本能寺の変で討ち取ったのは蘭丸ではなく弟の力丸となっています。あと舟橋という場所はネットで調べると柴田勝家が刀狩をした時に集めた刀などで橋に使う鉄の鎖を作ったところだそうです。

参考文献:福井市史 資料編 4・森家先代実録巻第三【翻刻・現代語訳】

UPDATE 2004年11月30日
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