西尾宗次
(にしおむねつぐ)
生没年:?〜1635年/ 身分:松平家の家臣/ 官位(通称、号):仁左衛門・久作

福井市足羽1丁目7-16にある西尾家の菩提寺・孝顕寺
宮地久右衛門の息子。久右衛門は遠江の浪人・西尾是尊の養子となって家と姓を継いだ。宗次は遠江高天神の戦いで徳川軍に属して功を上げ、1593年に結城秀康の家臣となった。1601年に700石と鳥銃頭の役職を与えられた。
大坂の陣に従軍し、特に夏の陣では首級13とともに豊臣軍の名将・真田幸村を討ち取ったという大功を上げて徳川家康と秀忠に拝謁を許され、主人の松平忠直からも賞されて1800石に加増された。1635年死亡。
管理人・・・お父さんが浪人の養子になった理由がよく分からないです。
有名な話しですが、宗次が幸村と戦ったときはすでに幸村は満身創痍で「自分の首と秀頼様からいただいた采配を添えて高名にせよ」といって抵抗もしなかったそうです。あと西尾家には幸村の甲冑と采配が家宝として伝えられたそうです。
参考文献:三百藩家臣人名事典・福井市史 資料編4・越前人物志
UPDATE 2002年2月14日
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