多賀秀識

(たがひでのり)

生没年:1587〜1630年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):左兵衛

 多賀秀種の次男。1605年より前田利長に仕え、大坂夏の陣で玉造口で奮戦した。1616年に父・秀種が亡くなると、4千石を受け取る。
 寛永年中に家臣の屋敷を田畑にしていたのが、主君・前田利常の耳に入り逆鱗に触れたため、秀識は進退窮まってしまう。自暴自棄になった彼は、1630年6月、妻と子供を倉庫に幽閉し立て篭もった。なんとか子供は助け出されたが、妻は秀識に殺され自身も自害して果てた。

管理人・・・寛永年中は家臣の屋敷を勝手に田畑にしたり借家にしたりして小銭を稼ぐのが普通でした。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年4月24日
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