松平康定
(まつだいらやすさだ)
生没年:?〜1620年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):伯耆

父・康元が城主だった豊田市上伊保町にある伊保城跡
三河伊保城主・松平康元の子。長連竜を頼って能登へ行き、後に叔父を通じて前田家に仕えた。一時期、前田家を去り、佐々成政の家臣となるが、1585年に再び前田家の家臣となる。
関ヶ原の戦いでは、丹羽長重との戦いで一番槍の功があり感状を与えられた。大坂両陣では武者奉行となり、陣後に1万石を賜り家老となる。1620年4月死亡。
管理人・・・父は徳川家康の異父弟とは別人のようです。なぜ能登に行ったかが分かりません。お父さんに何があったんでしょうか。また伊保城ですが4つあり、写真のは江戸時代に築かれた伊保陣屋で正確には違います。
UPDATE 2002年5月23日
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