深美秀剰

(ふかみひでのり)

生没年:1598〜1672年/ 身分:堀家の家臣/ 官位(通称、号):八郎兵衛

 堀直寄に仕え、大坂夏の陣で直寄を狙撃した豊臣軍の兵を倒し、その戦功で5千石を賜った。しかし寛永に入って堀家の当主が相次いで亡くなったため1642年に浪人となってしまう。
 1647年に再び堀田正盛に仕えたが、1660年に堀田家が改易となってしまったため、またも浪人となってしまった。その後、江戸で暮らしていたが、1661年に保科正之の口利きで前田家の家臣となり6千石を賜る。1672年に死亡。松月寺に葬られた。

管理人・・・秀剰が浪人していた際、名を知られていたため諸侯から援助を受けて、その金などで家来を養っています。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年5月11日
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