賀島政重

(かしままさしげ)

生没年:1598〜1660年/ 身分:蜂須賀家の家臣/ 官位(通称、号):主水正

賀島一族の墓
徳島県阿南市長生町寺ノ前にある賀島一族の墓

 賀島政慶の息子。賀島家は尾張の出身で、祖父・長昌は織田信長に仕えていたが本能寺の変後に蜂須賀家政に仕えたという人物。父・政慶も家政に仕え、牛岐城1万石を与えられていた。
 政重も同じく蜂須賀家に仕え、関ヶ原の戦いの際に僅か3歳で人質として大坂に行っている。大坂冬の陣に従軍した。1627年に父が亡くなると家督を相続する。1660年11月1日死亡。

管理人・・・政重の祖父の長昌は蜂須賀正勝の娘を娶って政慶を生ませていますので、政重も蜂須賀家の血を引いているということになります。また通称の主水正はかなり後から任ぜられたもので、当時のものとは違いますが、その頃何と名乗っていたのか分からなかったので、そのまま載せています。

参考文献:阿波人物誌

UPDATE 2006年2月18日
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