森川重俊

(もりかわしげとし)

生没年:1584〜1632年/ 身分:酒井家の預かり/ 官位(通称、号):内膳正

 森川氏俊の三男。1597年に徳川秀忠の近習となる。1600年の関ヶ原の戦いでは秀忠に従軍し、宇都宮や信濃を転戦した。1609年に下野国内に3千石を与えられる。1614年の大久保忠隣の罪に連座して改易となり酒井家次に預けられ上野高崎に流された。
 大坂夏の陣では家次に属して出陣し功があり、再び秀忠の近習となる。1627年に正式に許されて、下総生実を中心に下総・上総・相模国内で1万石を与えられた。1631年に老中となる。1632年に秀忠が亡くなると殉死した。法名・活国正英重俊院。千葉市の重俊院に葬られた。

管理人・・・徳川忠長派だったため、秀忠がいなくなり家光の政権になると改易されると考えての殉死だったそうです。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2004年11月11日
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