稲垣重綱

(いながきしげつな)

生没年:1583〜1654年/ 身分:上野伊勢崎1万石の大名/ 官位(通称、号):摂津守

稲垣家累代の墓
群馬県伊勢崎市下植木の天増寺にある稲垣家累代の墓

 徳川家の家臣・稲垣長茂の子。関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に属して真田昌幸の上田城攻めに参加した。1612年に父が亡くなったため上野伊勢崎1万石を継ぐ。
 大坂の陣では酒井家次に属して功があった。1616年に越後刈羽郡内2万石に移封される。1620年に3千石を加増されて三条城に移った。1651年に三河刈谷に移封され、1654年1月8日死亡。法名・法性院光岳宗本。

管理人・・・父の長茂は上野伊勢崎藩士と書いてあったのですが、意味がよく分からないです。彼が伊勢崎にいた時は大名なんですが、、、。

参考文献三百藩藩主人名事典戦国人名事典 コンパクト版

UPDATE 2004年5月26日
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