寒川直景

(そうかわなおかげ)

生没年:1544〜1624年/ 身分:浅野家の家臣/ 官位(通称、号):与助・右大夫

 寒川行兼の息子。紀伊に生まれる。寒川氏は紀伊日高郡舛形城主として寒川地方を支配した豪族。直景は豊臣秀長・秀吉に仕え朝鮮出兵に従軍する。日高郡で一揆が起きた時、案内役を務め鎮圧にも参加し首級32を得るという功があった。
 秀吉が亡くなると浪人となったが、関ヶ原の戦い後に紀伊の大名となった浅野家に200石で召し抱えられる。大坂の陣に従軍した。
 浅野家が安芸広島に移封されるとそれに従ったが、やがて暇乞いをして紀伊に戻る。1623年に彦坂光正の推薦で徳川頼宣の家臣となり、100石を与えられた。1624年1月2日死亡。

管理人・・・お父さんの行兼は小牧・長久手の戦いでは徳川家に味方したそうです。その後に直景が豊臣家の家臣になっているところを見ると、寒川氏は1585年の紀州征伐では豊臣家に味方したんでしょう。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2005年4月9日
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