佐武伊賀守

(さたけいがのかみ)

生没年:1538〜?年/ 身分:浅野家の家臣/ 官位(通称、号):伊賀守

新宮城
伊賀守が助けた堀内氏の居城・新宮城

【傭兵】名前は義昌とも伝わっているが詳しいことは不明。佐武氏は紀伊雑賀の鷺ノ森の土豪と言われている。伊賀守は幼い頃より鉄砲を習い一流の腕を身につけた。その後、紀伊国内での戦闘に参加した後、1560年に土佐に渡り本山氏に仕え、長宗我部元親と戦う。しかし本山氏が長宗我部氏に押され戦況が次第に悪化したため、土佐を去った。
 1570年に三好三人衆に仕え、織田信長らとの戦闘で畿内を転戦する。その後、石山合戦に参加し、またも信長勢相手に活躍するが、やがて紀伊新宮に移り、同じく織田勢と戦っていた堀内氏を助けた。

【落ち着く】本能寺の変後は雑賀に戻り、1585年の紀州征伐では小雑賀の城を守備したが、やがて秀吉に降伏して、豊臣秀長の家臣となる。関ヶ原の戦い後は浅野家に仕え500石を与えられた。大坂の陣に従軍する。浅野家の安芸移封にも従った。没年は不明。

管理人・・・『○○氏に仕え』などと書いていますが、皆様ご存じの通り、雑賀衆は傭兵で有名ですので、秀長に仕えるまでは、主従関係などはありません。便宜上、そう書いただけです。紀州一揆が起きた時に加わっていませんが、もはやそんな時代ではないことを分かっていたからでしょうね。

参考文献戦国鉄砲 傭兵隊

UPDATE 2006年1月30日
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