第32章:改易(1600年)

 土佐に戻った長宗我部盛親は井伊直政を通じて徳川家康に謝罪しようとしたが、直政は盛親が直接大坂に行き謝罪するように勧めた。長宗我部家は戦うか恭順するかで意見が分かれたが最終的には恭順することに決まる。
 しかし大坂に向かう直前に盛親が幽閉されていた兄・津野親忠を殺害したため、家康の怒りに触れ改易されてしまい京都に蟄居する身となってしまう(改易された理由については諸説有り)。この処置に対して下級家臣の一領具足が浦戸城に立て籠もり抵抗の意志を見せたが、重臣達によって鎮圧されている(浦戸一揆)。

UPDATE 2012年7月28日
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