第25章:九州に出陣(1586〜1587年)

 1586年10月、長宗我部元親信親父子は豊臣秀吉の命令で九州に出陣。九州を席巻していた薩摩の島津義久が秀吉の命に従わず大友宗麟を攻めたため、大友氏の救援に向かったのだ。元親らは讃岐の仙石秀久・十河存保と共に行動するが、同年12月の戸次川の戦いで島津家久の軍勢と戦い大敗してしまう。信親と存保は戦死したが、元親はなんとか撤退し四国に逃れている。
 その後、元親は豊臣軍の一員として再び九州に上陸した。1587年5月、秀吉が自ら九州に上陸して南下し義久を降伏させる直前、元親に大隅国を与えようとしたが元親は辞退している。信親の死による傷心のため領土欲を失ったなどと言われているが、その真意は不明である。

四国連合軍の行軍図
行軍図
UPDATE 2012年7月19日
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