第22章:苦戦する長宗我部軍(1585年)

 兵力差が3倍もある長宗我部軍には最初から勝ち目はなかった。それでも元親には
「敵に大きな損害を与え少しでも有利な条件で和睦に持ち込もう。もしかすると戦っている最中に東で何か起こって撤退するかもしれない」
 という目算があったのかもしれない。しかし豊臣軍は元親の予想を遙かに超えた勢いで長宗我部側の城に襲いかかった。
 1585年6月、淡路から阿波に上陸した豊臣秀長の軍は土佐泊城に上陸し木津城を落とす。これを聞いた牛岐城の香宗我部親泰は土佐に撤退し阿波の前線は崩れた。讃岐に上陸した宇喜多秀家の軍は阿波が落ちれば讃岐も自然に従うだろうと考え秀長の軍に合流。阿波方面の軍勢は阿波一宮城と岩倉城に攻めかかった。
 伊予には毛利輝元の軍勢が上陸し金子元宅の籠もる高尾城を攻めた。奮戦した元宅だったが7月17日に玉砕している。

豊臣軍の四国侵攻図
四国侵攻図
UPDATE 2012年7月5日
Copyright (C) 2012 Tikugonokami.