かね(1569?〜1649年)

 金子元宅の長女。四国征伐(天正の陣)で金子城が落ちた際、城を脱出して土佐に落ち延び、長宗我部元親の庇護を受ける。長宗我部氏改易後は山内氏に仕えた。晩年は高齢のため、職を辞して城下の屋敷で弟達と暮らす。かねの希望で屋敷近くの堀に架けられた橋(通称・金子橋)が高知市升形にあったと伝わっている。1649年8月27日死亡。法名・西覚院殿月賀寿栄信女。

 かねが土佐に落ち延びた際に逸話が残っている。ある年の正月、元宅が家臣と共に野外で酒宴を開いていると、猪の子が紛れ込んで来た。家臣は殺そうとしたが、元宅は自分が亥年生まれだからと言って制止し、生け捕りにして飼育する。
 金子城落城後、かねが雑兵に追われている最中、元宅の猪が現れ雑兵を強襲。その隙にかねは追っ手の目を誤魔化すため、衣を松に掛け無事に逃げ延びている。昭和の初めまで衣を掛けた松と猪塚が現存していたようだが、現在は不明。

高知市升形8ー19にある称名寺。江戸時代までは高知市潮江にあり、かねの墓があったが、廃仏毀釈で廃寺。その後、現在の場所に再建された。また当地にはかねの屋敷があったと伝わっている。
称名寺
UPDATE 2010年12月20日
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